- エフラボトピックス
- 飲食業界で活躍する人に話を聞いてきた
- 仕事時代 vol.2 株式会社TTC 斎藤健太郎さん
1979年、東京都生まれ。フレンチの料理人だった父の影響で、幼少時より料理の世界に触れる環境で育つ。1999年3月、服部栄養専門学校調理師科卒業。和食の世界でキャリアをスタートし、24才からフランス料理の道へ。各師匠の元で、調理の基礎を学ぶ。30代でマネージャー業務を習得し、多店舗運営管理や新業態開発、人財育成や採用など幅広い業務に携わる。2018年より、株式会社 TTCで現職を務める。飲食事業の基盤をつくり上げ、入社3年でジャンルの異なる35店舗の新業態開発と立ち上げを手がけ、そのほとんどの店舗を繁盛させている。
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物件開発も業態開発もすべては、お困りごとの解決から始まる
―現在、飲食事業部長、総料理長としてどのようなお仕事をされているのですか?
「一言でいえば、会社内の飲食事業全体の管理運営をする仕事です。とくに新店舗の開発については、びっくりするくらい権限委譲してもらっています。店舗に適した物件が見つかると、コンセプトや厨房設計、メニュー開発やデザイン構築、立ち上げから軌道に乗せるまでのプロセスは全部みんなで考え、話し合いながら進めます。農家さんとタッグを組んで理想の野菜をつくってもらったり、熱海魚市場では買参権を持ち、競りに参加したりもします。お皿まで自分たちでデザインして各店で使用し、販売も行っています。社員それぞれが経営者であるという代表の考えのもと、やる気があれば何でも挑戦できる環境です」
―代表的な事例を通して、店舗開発のプロセスを教えてもらえますか?
「たくさんあって迷いますが、思い出深いのは入社して2年目くらいに手がけた『熱海銀座 おさかな食堂』です。熱海という街は、昼は海鮮料理屋中心に魅力的なお店がたくさんあるのですが、昼営業が終わるとほとんどの店が閉まってしまい、温泉に入って外に遊びに行きたくても、コンビニくらいしか行くところがない。最後の締めがコンビニというのはもったいないなとずっと感じていました」
―有名な観光地なのに意外ですね。
「もう1つ、接客の問題もありました。接客でその街の印象は決まるもの。それなのに、忙しい観光地はお客様に来ていただくことがだんだんと当たり前になり、一歩間違えると対応が荒い店もあったりします。物件開発も業態開発も、すべては街のお困りごとの解決から始まります。だから、これだ! と思いました。すごく元気でとがった接客で、料理もしっかり美味しくて、なおかつ若い人たちにも来てもらえるように映えるメニューがある店、熱海で一番の居酒屋をつくろうと考えました」
「熱海銀座 おさかな食堂」
熱海で一番の居酒屋をつくろうと、入社2年目に手がけた思い入れの深い店舗。今では行列の絶えない人気店に成長している。「熱海の『タカラ』を伝え、熱海の『夢』を語る」のコンセプト通り、用いる食材のほとんどは地場産のもの。若い層にアピールできるよう、これでもかというボリュームの映えるメニューにもこだわっている。
「熱海銀座 おさかな食堂 はなれ」
今年8月、オープンした5店舗目のおさかな食堂も「朝ごはんを食べる店がない」という“お困りごとの解決”から誕生した。朝8時からの営業で、手づくりのおばん菜をビュッフェ形式で提供する。
食材は地場食材にこだわる。「七尾たくあん/熱海」「くみ豆腐/熱海山田豆腐店」「野菜/熱海岩崎青果」「網代サバ・熱海サーモン/熱海宇田水産」「伊豆白みそ/伊豆フェルメンテ」「干物/熱海小沢干物」「塩/西伊豆井田」「お酒/熱海ビール・熱海梅酒熱海っ子・純米酒あたみ 」「お米/三島 ひのひかり」「わさび /カメヤ 伊豆ワサビ」「乾物/熱海わたなべ食品「TAMAGOYAベーカリーカフェ」
富士山を望む絶景ロケーションで、ベーカリーを中心としたビュッフェスタイルに業態変更。朝はモーニング、ランチはパンと新鮮な野菜が楽しめるサラダビュッフェ、さらにはパンケーキなどのスイーツも充実。地元野菜を中心とした健康的な野菜メニューの数々が、感度の高い女性を中心に幅広い層の人気を集めている。
「熱海プリン」
日本を代表する温泉地、熱海を復活させようという熱い想いから商品開発した「熱海プリン」。熱海の新名物として広く知られ、連日、行列ができているが、オープン前には人がほとんど通らないシャッター街だったのだとか。この看板商品のヒットをきっかけに続々と出店。地域ににぎわいを取り戻す事業に本格的に取り組み始めた。
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料理人は人を虜にする力がある。シェフに胸を撃ち抜かれて転職
―お父様の仕事の関係で、早くから料理の世界を志されていたのですね。
「父はフランス料理のコックだったんですが、忙しくてあまり家にいないし、給料は安いし、なんて仕事だ!(笑)って思っていましたよ。それでも、日曜になるとフランス料理が食卓に並ぶ。おふくろの味というよりおやじの味、プロの味で美味しいものを食べさせてもらって育ちました。だから、18才でこの世界を選び、専門学校に入学しました。夏休みに研修を受けた地元の和食店にそのまま就職したのも、将来、父と2人で店を開いたときに幅が広がるからと考えてのことでした。でも、実際には仕事より遊びに夢中。サーフィンをしたり、飲んだりするために仕事をするという毎日でした」
―その後、大きなターニングポイントを迎えることになりますよね。
「はい。24才、自分の結婚式がきっかけでした。フランス料理のレストランウェディングを行なったのですが、そのときの担当のシェフが絶対にノーを言わない、要望をなんでも叶えてくれたのです。すっかりファンになってしまいました。式当日も高砂の後ろのオープンキッチンが気になって、何度も振り返って厨房の様子を見ちゃいました。最後にお見送りをしていただき、『料理はいかがでしたか? あなたたちのことを思ってつくりました』といわれてズキューン! 胸を撃ち抜かれました(笑)。料理人ってこんなに人を虜にする力があるんだ、僕のやりたかったことはこれだと気がつきました」
―それで、すぐに行動に移して転職ですか?
「地元の山奥にウェディングレストランがオープンすると聞きつけ、株式会社 ノバレーゼの門を叩きました。夢を描いて飛び込んだレストランの世界は甘えの効かない、まさに戦場でした。調理場ではフランス語が飛び交い、何を言っているのかわからない。フランス語辞典を3冊買って、お風呂の中でも勉強し、擦り切れるまで読み込みました。そのくらい必死にならないと、レストランでは仕事になりません。周りの人たちの動きを先読みしながら、何手先もの仕事をしなければならない。料理人になってから、初めてがむしゃらに頑張りました。その姿をシェフが見ていてくださり、入社して半年くらいで二番手に抜擢されました」
―このときに得た学びはとても大きかったようですね。?
「ソースやドレッシングはもちろんマヨネーズまで既製品を使わず、何でも一からつくるシェフだったので、本当に鍛えられました。カットされた肉や切り身の魚は使わず、塊のまま届くのを捌きながら、筋は煮込み、ここはランチのステーキ、ここはウェディングのメイン料理という感じで、すべてを無駄にしない食材の使い方を学びました。秋になると丹波から猪や鹿が届き、千葉から届く青首鴨は寒空の下、毛だらけになりながら毛をむしります。毎年、浜名湖から届くスッポンを捌くのにはとくに覚悟が入りました。野菜や米は地場の農家から直接仕入れ、地元のブーランジェリーには地場の小麦を使用したオリジナルのバケットをつくってもらい、地場産品を活かす魅力も発見しました。生産者さんを一軒一軒訪ねて、ふれあいを重ねるうちに地場の食材を使わせていただく価値に気づき、感謝の想いが芽生えました」
―反面、プレッシャーもあったのでは?
「そうですね。店を回すのがスーシェフの役割なのに厨房のドアを開けるのも怖いと感じるほど、追い詰めたられたときもありました。それでも、そんな生活が3年も続けば、だんだんできるようになってきました。この期間を耐え、経験を積んだおかげで、どんな料理でもつくれるようになりました」
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誰かのために仕事をすれば楽しさも充実度も倍加する
―2回目の転職は何がきっかけですか?
「20代は調理技術を磨くことにだけ執着して、自分の内面と向き合うことを避けていたので、30代前半になると人間関係に苦しむようになりました。若いからと許されていたことも通用しなくなってくるのを痛感しました。目標を達成して業績を上げても個人プレーに走りがちだった僕は振り向けば誰もおらず、誰とも喜びを共有できないという事実に直面し、自分を変えなければと考えるようになっていきます。もっと人間力を磨こうと、クローズキッチンで芸術のような食事を提供するレストランの世界から、もっと身近な居酒屋やカフェを運営する地元密着型の会社に転職を決意しました」
―その会社では、どのような学びや気づきがありましたか?
「そこは、まるで別世界でした。学生アルバイトさんやパートさんと一緒にオープンキッチンで声を出しながら、お客様に来ていただく仕事はまさに人間力が物をいいます。すぐにうまくいくわけもなく行き詰まって、上司から研修を受けるよう勧められました。それが自分を省みるきっかけになりました。自分に起こることはすべて自分が招いていると教えられ、何か都合の悪いことがあると他人のせいにしてきた自分を指摘され、ハッとしました。32才です。遅すぎませんか(笑)」
―でも、その気づきが斎藤さんを変えたのですよね。
「この経験がなかったら、今の自分はいないと思います。じゃあ、自己責任で動いてみようと決めた瞬間、すべてが劇的に変わりました。『誰かのために』という価値に気づき、まずは上司が言っていることを第一優先でやってみよう、会社のために働いてみようと思いました。素直な心、謙虚な姿勢、僕にはこの2つがなかったのです。それが身について、仕事の仕方が変化しました。後輩が成長して成果を得たり、受け持つプロジェクトが成功して仲間が喜んだり、関わる『誰かのために』仕事をすると、楽しさも充実度も2倍、3倍になっていきました。自分は何をしているときに心が震えるのか、何をしているときに心から楽しいのか、そう自問し続けて、答えを見つけたとき、人生どう生きるかが決まったのです。『人を活かす仕事がしたい』という生き方が決まり、あらゆることの覚悟が決まり、生きたい人生を生きられるようになりました」
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飲食は楽しく成長できる仕事、無限の可能性があると伝えたい
―こうして料理のスキルと人間力という2つの武器を手に入れて、TTCに入社されたのですね。
「代表の飲食事業を盛り上げたいという情熱やリーダーとしての姿に、この方の元で勉強すれば世界が広がると直感して入社しました。それから3年半、飲食事業の基盤をつくりながら、地場食材を活用した専門店やレストラン、スイーツショップ、道の駅食堂、居酒屋、ファストフード店など、ジャンルの違う35店舗の飲食店を開発させていただき、現在、42店舗を運営しています。北海道から九州まで全国各地を飛び回り、海外出張に行くこともあります。入社時の飲食事業の社員は2名でしたが、今では30名以上の社員に囲まれ、充実の毎日を過ごしています。様々な挑戦をする中で、仕事の幅が広がり飲食店の運営スキルだけではなく、経営の手法や商売の戦略的思考が磨かれ、入社前の何倍もの実力がついたのを実感しています」
―これまでの経験がすべて活かせる仕事ですね。
「僕の強みは自分でブランドを発想し、その考えたブランドの店舗デザインや料理を自分で形にし、立ち上げから落とし込み、軌道に乗せるまでの一連の流れを全て出来ることだと思っています。料理人を軸に少しずつ幅を広げてきたら、いつの間にか、今の自分になっていました。挫折や失敗を何度も繰り返してきたことで、うまくいかないという人の気持ちや痛みもよくわかります。今は採用も担当させてもらっていますが、上手くいかなかった経験も自分から打ち明け、その方の心へ1歩踏み込む採用を心掛けています、僕が採用したメンバーの離脱が少ないというのは自慢なんです」
― 最後に、斎藤さんの今後の目標を教えてください。
「シンプルにいえば、人を活かす仕事がしたいということです。働く人たちがみんな生き生きとして、働くのって楽しい、飲食っていいなと思ってもらえるようにしたい。人生の大目標としては、きつい、働くのが長いという、まだまだある飲食の負のイメージを変えていきたい。楽しくて、成長できて、無限の可能性があるということを伝えたいですね。自分自身がその楽しさを体現しているつもりなので、きっと、変えられると思っています」
—具体的には、どこから着手するのですか?
「コンセプトづくりです。コンセプトは店の心臓になるものなので、時間をかけて『熱海のタカラを伝え、熱海の夢を語る』と決めました。軸ができれば、いろいろな部隊が集まり、そこに肉付けをしていきます。農産物担当、物販担当、デザイン担当のように各分野のスペシャリストがいっぱいいるのが当社の強み。そういう人たちが集まって自分の専門分野で力を発揮して店を立ち上げます。『おさかな食堂』が売れる事で地域が潤うように、使う食材は出来るだけ地場産のもの。魚も豆腐も練り物も、醤油や味噌に至るまで手に入るものは全部地元で揃えました」
―コンセプトづくりをしてメニューも決まれば、次は何でしょう?
「僕が一番得意としている教育です。立ち上げ前から店に入って、ああでもない、こうでもないと言い合いながら、みんなと同じ釜の飯を食べます。最近は飲食事業部のメンバーが増えたので、1、2週間で次のリーダーに任せる事が多いのですが、今まで入らなかったお店はなく、長い場合は1、2ヶ月どっぷり入り込むこともあります。オペレーションをつくるのも、料理をつくるのも『こういうふうにするといいよ』というのをやって見せます。中には社員がいない店もあるので、レシピも盛り付けも仕組み化して、誰でもできる状態をつくっておきます。原価や人件費、各種経費と細部まで数値管理し、利益を残せるように教えて、成果を残せる人財を育てます。飲食は1から10まで人と関わる仕事。ときには、その人の人生にまで入り込んで教育することもあります。家族のように関わっているので、一人ひとりが何をやりたいのか、全員の夢や目標も頭に入っています。僕の原動力はそこにあるんですよ」
―仕事のやりがいもうかがおうと思ったのですが、答えはそのあたりにありそうですね。
「自分の成果を追い求めるより、自分がつくった店の中でみんなが成長していく姿を見るほうが何倍も嬉しい。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、自分が関わることによって誰かが成長して輝くことが、僕の人生の目的です」
取材場所/たまご専門店 TAMAGOYAベーカリーカフェ
住 所:静岡県田方郡函南町畑374-63
電 話:055-974-4422
営業時間:9:00~17:00
2021年9月掲載