飲食就活生のエフラボトピックス

エフラボ
茂木先生のひとり語り 日本の外食をひもとけば vol.2

外食産業50周年 ― 新たな時代と新たな魅力 ―

今年2020年は、日本に「外食産業」が誕生して50周年。
「外食産業」は1970年、今から50年前に、近代的経営を駆使して、はじめからチェーン店を目指す外食チェーン企業が誕生したことを根拠に、世の中が新しくつけた言葉なのです。その結果、いまでは個人店の「飲食店」も、「外食産業」と呼ばれるようになっています。
「外食産業」の登場は、それまでの日本人の価値観を覆し、私たちの生活様式を一変させました。そして50年が経ち、外食産業は新しいステージに入って、再び私たちの生活を作り変えようとしています。50年前に何が起こったのか、これから何が起こるのか。説明しましょう。

今の外食産業のトップランナーたちは、50年前に一斉にスタートしました。「ヨーイドン」と呼子を吹いたのは政府です。外国資本の日本国内での活動を解禁しました。「資本の自由化」政策と言います。 それまで、日本で活動できなかった外資ブランド(主にアメリカ)が、次々と日本に上陸し、同じ店名の店舗を増やしていったのです。これを、チェーンレストランと言います。

1970年、ケンタッキーフライドチキンが日本にデビューし、翌年マクドナルド、ミスタードーナツが開店し、あっという間に同じ店を増やしていきます(デニーズは1974年)。負けじと日本資本のレストランもチェーン展開を目指します。1970年すかいらーく(現ガスト)、翌年ロイヤルホスト、翌々年モスバーガー。1970年代には、外国資本・日本資本あわせて70~80のファミリーレストランチェーンが覇を競ったと記録されています。まさにベンチャーブーム。

今ふたたび社会の注目を集める、外食産業
それまでの日本社会では、外食するという行為は、とてもマイナーな行為とみなされていました。家庭のなかにこそ食の基盤があるのだから、外食は特別な場か、さもなくば家庭に問題を抱えている人のする行為だと。家族で外食すれば、主婦の家庭放棄だと責められたのです。実際、ほとんどの高校では、校則で喫茶店やレストランへの入店は禁止。家族との入店さえ学校の許可が必要でした。

そうしたところに、それまで見たこともない魅力的なメニューを掲げて、ピカピカの店舗で、若い人も家族もどうぞといって、チェーンレストランが現れました。しばらくはファストフードの″立ち食い〟など″もっての外〟と非難を浴びておりましたが、外食することの楽しさ、快適さ、美味しさ、豊かさを演出し続けたこれら外食チェーンの魅力には勝てませんでした。「外食産業」という言葉もここで生まれて使われるようになりました。1970年代の末のことです。この言葉が国語辞典に載りはじめるのはさらに10年後の1980年代末のことです。ファミレスで試験勉強したり、サークルの相談をしている風景が日常化するのは、平成に入っての時代ですよ。

そんな外食産業が、今また社会の注目を集めています。
皆さんが日常生活で最も長時間を過ごすのは「スマホ」ですね。ではその中身は何でしょう。「インスタ映え」している写真や動画。そのコンテンツは、メニューであったり料理であったり、そのテーブルであったり、お店であったり、それを掲げる人物であったり、すなわち「食」ですね。「流行」=ファッションは「食」。
また、少子高齢化が進む中で地方はどうやって生き残るかという議論が日本中あちらこちらでされています。その内容を聞くと議論の中心は「食」です。外食施設の提案やメニュー開発の話題がかならずあります。これに「AI」「VR」「ロボット」も繋がって、新しいビジネスモデルが次々と生まれており、世の中の仕組みを変えつつあります。その様子は、1970年代を彷彿とさせます。

50年経って外食産業は新しいステージで再生しつつあるのです。

文/茂木 信太郎

2020年2月掲載

ページトップへ